ハードロック、時々ソフトカバー

心模様は雨のち晴れるでしょう。

「付き合ってください」が言えない僕/自己肯定

こんばんは。

 

「恋愛」ってとても難しい。なんなら大学で課されるレポートを書くよりも難しい。

相当なエネルギーがないと恋愛できませんよね。忍耐力とかそれ相応の体力とか。そのエネルギーは今の自分にあるのか?と自問すると、「いや、ねぇでしょう」と返ってくると思う。

 

過去の恋愛(そんなしてないけど)では、付き合う決め手である「付き合ってください」が言えずにその恋が死んでいった。

 

『なぜ、その単純な一言が言えないのか。』

 

一番ベタな答えとしては、「今の関係が壊れるのが怖いから」が挙げられるが、実に、この答えが核心を突いている。

結局、一緒に出かけてご飯食べたりお茶したりしているあの“至福の時間”を、「付き合ってください」の一言によって冷ましてしまい、奪い去ってしまう可能性が極めて高いのではないかというふうに考えてしまうチキンの自分がいる。

からしたらあるあるだと思う(内気な人に限る?)。

 

今の自分は告白して、もしフラれたとしても、「俺をフったことに後悔するでしょうね」と考えるようにしてシフトチェンジすることができるようになったと思う(心に余裕ができた?!)。また、

「俺は、他の男性と違う要素が多いし強いと思うし、むしろそれが僕の売りなんでしょう。同じような似たような“量産型”の男より希少価値があるでしょ!!!で、何気に広い範囲の知識ある(と思い込みたい)よ!!」

と今まで認められてこなかった自分に対してもっと自己肯定して前を向く。

 

チョット成長シタネ。

 

 

 

恋愛したい。

 

 

では、また。

 

How do you think about "Suicide"?

こんばんは。

 

今日はなにかと話題に上がる「自殺」について書いていきたいと思います。

 

 

僕自身、「自殺」と聞けば第二次世界大戦時の神風特攻隊を思い浮かべます。日本がまだ「大日本帝国」だった頃、お上のために我々よりも若い男性たちが零戦に乗ってアメリカの空母や戦艦に突撃したわけです。「出陣したら、戻ってくるな。」それが美徳だった。実際に知覧の特攻隊資料館に行った際には、特攻した方々の遺書が展示されていてなんとも言えない気持ちに。

 

数十年経った今でも、「自殺」は大きな問題になっているのは周知の事実ですね。元X JapanのhideさんやZARD坂井泉水さんなど成功した有名人ですら自分で自分の命を絶ってしまった。

「辛い時は周りに頼って。」とは言いますが、本人達はそれを理解した上で命を絶った。今回の三浦春馬さんだってそうでしょう。周りから「成功してるよね!」とか「なに不自由なく暮らしてるでしょ!」とか散々言われ、相談できなかったのかもしれない。だけど、人気がある、成功してるから自殺した時には大きな事件やニュースになる。

この世の中には辛い境遇の中で自殺してしまった方が数多いることでしょう。我々はその事実と向き合わなければならない。特に、教員志望の方。これから、芽が出て成長していく若者を責任持って指導していかなくてはならない。いじめと自殺についてもっと考えなきゃ。

 

「自殺」は他人事ではない。もし身内が、友達・親友が「自殺」してしまったら。それが起こってからでは手遅れ。常日頃から一人ひとりの友達と誠心誠意関わらないと。

 

今回の三浦春馬さんのニュースで考えさせられました。有名な方が亡くなってから考えるのは本当に遅すぎるとも実感しました。

皆さんも考えたことを共有しあってくださいね、もちろん面と向かって。SNSや電話とかではなく、面と向かって。Face to Faceで腹割って。

 

 

 

 

お悔やみ申し上げます。

 

では、また。

Updated Dinosaur

こんばんは。

 

最近では、コロナウイルスの蔓延で自粛だったり活動が制限されてますね。

 

僕の趣味の一つである「音楽」について書くこととする。僕は根っからのボーカル気質ではなく、バンドを引っ張ってくギタリスト気質なので、カラオケに行ってもあまり上手くはない上ずった声で曲をお届けしている。

 

それでも、高校時代に比べて高音が出るように…

なので、B'zの歌は歌いやすくなってきているので最新のテレビやデパートとかで流れている曲を覚えて歌いたくなってきた。今までは

 

「ちぇっ、最新の曲なんて歌ったら負けだ!Rockじゃねぇ!」

 

って思ってたが、なんとなく高音でるようになってからは髭ダンとかKing Gnuとかそういった高音域の歌手の歌も歌いたくなってきた。多分、よくカラオケ行く友達に触発されたということも一つの要因なのかと。

 

心境の変化。

 

おめでたいことじゃあ、ありませんかね?新旧の良曲を取り入れてく。曲だけでなく、いろんなことに対しても言えるのだろう。

新しい(良い)ものを取り入れてUpdateしていく。しかし、Dinosaurとしての時代遅れのものや伝統的なものやことを大切にしていく姿勢。

 

今日、ふと友達に気付かされた。ありがとうよ。

一人では気づかなかったかも。

 

 

また、何か発見あったら書きます。

 

では、また。

夏といえば恋だが結果は悲惨。

こんばんは。

 

この時期、夏になると無性にB'zの「恋心(KOI-GOKORO)」が聴きたくなる。あと、「wrap」。

 

恋をしていた時期は決まって夏だった(と思う。始まりはいつも夏)。この二曲にどれだけ心を救われたことか。といっても、いずれの恋も破綻することになることは言わずもがなでわかるでしょうけどもね。へっ!!!(オードリー風に読んでください。)

 

夏特有のアスファルトが湿ったような匂いを嗅ぐと思い出さざるを得ない恋をしていたときの自分。告白するときの渇ききった心臓の音。

 

トラウマ。

 

 

それ以来、人に恋するという気持ちを忘れてしまったアンドロイドの僕。というか、好きだったとしてもそれを隠し通してきたせいで好きなのかなんなのかわからない状態。恋するのが怖い。女性が怖い。「どうせ顔面で選ばれてるんでしょ?」「友達としてしか見られないんだよなぁ」と思ってしまうほど、卑屈になっていく。末期症状待ったなし。

でも、結婚はしたい。

 

「この症状は恐らく自己防衛のために発症するんですよ。」

「まぁ、でも彼女できたら理性的で正確な判断はできなくなりますからね。」

 

二重人格の1人の僕が言っている(1人は“Ethos(エートス)“で1人は“Pathos(パトス)“、多分“Ethos“が言ってるんだろうな)。

 

精神科医にかかった方がいいかも。

 

 

 

 

男に選ぶ権利なんてない。いつも選ばれる側なんでしょうな。こんな僕を拾ってくれる人はいつ現れるのだろうか。未来永劫現れないかもしれないけど、"Pathos"は期待している。多分"Ethos"も若干は期待してると思う。形而上の疑問符。

 

自分から行っても「どうせ失敗する」という呪縛。ナポレオンやエジソン、世界の偉人はその「失敗」から学んでいる。なんせ、「失敗」しかしていないが経験が浅い僕。まだまだ小物だ(誰が身長もじゃ!)。とにかく経験積まねば。だとしても、手当たり次第は相手に失礼だし。パラドックスだらけの恋愛。

 

わけわかんねぇ。

 

僕、私こそ恋愛の師範代という方は教えてください。

 

では、また。

 

社会の3軍の恋愛模様

日本という国に住んでいると社会のヒエラルキーみたいなのが克明に主張されていることを自覚する。

その代表格として「陽キャ」「陰キャ」「パリピ」「オタク」などといった言葉がある。

ヒエラルキーといっても「陽キャ」「パリピ」は聖職者とは程遠い生活を送っているのだが。)

 

明らかに自分は「陰キャ」(というよりも「変人」)の部類であるが。

そんな「陰キャは恋愛してはならない」「3軍は3軍なりに振舞え」みたいな枷が囚人が足に付ける鉄球のように僕の心に付けられている。だから人に関して無関心を貫こうとするのだろう(「結婚と怒りと無関心」参照)

 

だからこそ、生きる意味を他に向けて出来るだけ目線を恋愛から遠ざけようとしている(しかし、このようなテーマを書いている時点でそれはできていない)。

花の大学生活を夢見ていたが、結果として出会いもないしいい人にも出会えてない。予定としては今彼女と一緒に勉強して論文書いてる筈だったが、それは夢のまた夢。一人で図書館に篭り、サルバドール・ダリや当時のシュルレアリストについて延々と調べるだけ。どこをどう間違ったらこうなる?キャラ作りの段階?本当の自分は隠して「変人」キャラでやってきたからなのだろうか。実はマーティ・マクフライのように(実際に「腰抜け」と言われたら単に凹むだろうが)臆病で好きなことやものに対しては徹底的に調べたりやり尽くすような「オタク」気質。ソウルナンバー33番、超宇宙人(だから宇宙人とかオカルトに興味を持ったのか!納得!)。

だが、それを見抜いている人はいるのか?見抜いている友達はただ一人だけだと確信している。

 

 

 

「3軍は狭く暗い四角い容器か何かにぶち込まれて生きればいい。」

陽キャ」「パリピ」はクラブで女の子を引っ掛け、「陰キャ」「オタク」は家から出るな。

 

社会からそういう風に通告されている気がしてならない。それが社会の常識だと思い込んでいる或いは無意識的に考えている。そう感じざるを得なく狭まった社会。風通しの悪い世の中。閉塞感。

 

ここまで書いてわかった。俺、「めんどくせぇヤツ」だ。何かにつけて考え込む。めんどくせぇよ、俺。

めんどくせぇからモテないんだよ。

 

3軍はここまで考えないと恋愛できないのよ。しんどいのよ、フリーな状態は。

 

結婚と怒りと無関心

僕はおそらく結婚できない。

 

人から興味を持たれない、必要とされない(スティーブ・ロジャースくらい肉体的精神的に強靭であれば別だろうが)。他の人には僕なんざ目に止まらない。多分「つまらない人間」のレッテルを貼られ、助けを求めたとしても助けてはくれない。周りにはそんな人間しかいないような気がする。

それに対して怒りは感じない。なぜなら、周りは無関心だからそれに対して怒りを覚えたとしても無意味だと悟っているからだ。

 

しかし、外に出るとどうだろう。周りの人間に怒りを感じてしまうことがある。それはある程度の常識を守らない人間しかいないと思い込んでしまっているからかもしれない。確かにコロナウイルスが流行し、「三密」「ソーシャルディスタンス」という世の中の新しく誰にでもできるルールすら守ることのできない人は指折り程度ではない。

 

インスタで投稿しても「いいね」が来ないだけで周りから否定されたように感じてしまう、もはや病気。人類の類稀なる失敗作・インスタグラム。

なら、やめてしまえ!そろそろ引退しようかしら。フォロワーも少ねぇし。

 

 

そんな人間は恋愛や友情といった少年漫画の形而上的テーマからは程遠い。僕としては他人への無関心は出来るだけ排除しているが、関心を持った途端怒りが先行する(場合の方が多い)。悪癖だと思う。怒りもある意味では人間性であり、ある意味では非人間性である。一概に何とも言えない感情だろう。

 

人間不信の塊のような僕は社会不適合者でしょうが、それは自分が撒いた種なのか否か。それすらの判断もできない。

 

人間が怖い。

 

 

『騎士団長殺し』

こんばんは。

 

読書は小学生頃からの習慣である。中学時代には『ミレニアム』シリーズ(1〜3、上下、計6冊)を一ヶ月で読み終えたり、高校時代には一年かけて村上春樹の作品を分析したり。

 

しかし、大学に入り専門書ばかり読み耽り名著から少し距離を置いていた。

そこで、久々に名著を読みたくなり愛すべきハルキ・ムラカミの作品を読み始めた。

 

騎士団長殺し』を再読中。これは高校3年時に刊行され、大学受験のカンフル剤として読んでいた。

その当時はあまり意味のわからないことが今となっては理解できるようになった(ような気がする)。

 

また、村上春樹作品の特徴として「変な拘り」かわ事細かに記されている(朝飯に何食べた、音楽は何を聴いているのか等)。そこが面白いのだが。活字だけでここまで想像できるかというレベルの描写。脱帽。

 

タイトルの「騎士団長」とは誰なのか、鍵を握る二人の人物とは、「イデア」とはを考えさせられる作品。

 

また全て読み終えたら書こうかと思います。

 

では、また。

 

 

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: ペーパーバック
 
騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下) (新潮文庫)

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: ペーパーバック