眠れない夜
おはようございます。
最近寝たくても眠れない夜が続いていてなんだか自分が自分でないような気がしてきている。
バイトやなんやらで疲れて帰ってきても、アドレナリンが出ているからかなんなのか少しも眠れない。早めに布団に入っても考え事をしてしまって眠れない。
何しても眠れない。
眠れないから映画観てしまうし、ゲームも少ししてしまう。なんか勿体ない時間の使い方。
え、これは日中摂ったカフェインのせい??
カフェイン控えた方がいいのかな?
アルコール摂ると眠くはなる。だからといって毎日は摂りたくない。
どうすりゃえぇんじゃ。
是非いい眠り方を知っている方がいたらコメントください。
では、また。
Media and Us
こんばんは。
今日はノーバイトで、一日空いていたので全く手をつけていなかった卒論(序章)と教採対策を。この時期に追い込まれた感があるから、デッドライン前の一ヶ月は死ぬほどやるんだろうな。
死ぬほど疲れた時はやはり、娯楽。趣味の洋楽・洋画鑑賞。
僕は中学1年の時に祖父の勧めで007シリーズに出会い(今考えたら教育によくないぞ)、そこから全ての作品を追ってきた。007シリーズは絶対的ヒーローのジェームズ・ボンドと個性的なヴィラン、例えばオーリック・ゴールドフィンガーやバロン・サミディ、ジョーズなどとの情報戦・肉弾戦が欠かせない。また、綺麗な女性と酒、スーツや時計など男なら目がない要素満載。ボンドの恋愛テクニックなんて、三軍の僕は絶対使えない…
数々の映画(と言ってもまだ300本くらい?)を見てきたが、人生の師匠と言えるのはボンドのみと言わんばかりの名言を吐く。
まぁ、前置きはこれくらいにして本題に。疲弊した時はスカッとする映画か音楽!
Spotifyを開き、ランダムに自分の作成したプレイリストを再生したらかかってきたシェリル・クロウの"Tomorrow Never Dies"。
なちぃ。懐かしすぎる。
あ、エリオット・カーヴァーとスタンパー君のやつだ!ボンドガールはパリス・カーヴァーとウェイ・リン!
主題歌聞いたせいで、"007 Tomorrow Never Die"を見たくなり、DVDラックを漁りに漁った。
あったぁぁぁぁぁ!!!よぉぉぉぉぉし!!!
心の中で叫びつつ、鑑賞。
"007 Tomorrow Never Dies"
007シリーズは毎回オープニングがかっこいい。男ならワクワクせずにはいられない。ボンドの潜入やアクション。
極め付けはJames Bond Themeとガンバレル・シークエンスが流れストーリーは本筋に。これは1代目ボンドのショーン・コネリーから変わらない。
「メディアの帝王」ことエリオット・カーヴァーは自身が経営する大手新聞社カーヴァー・メディアグループの新聞トゥモローを数多くの部数を売るため、英中戦争・第三次世界大戦を起こそうと画策…
しかし、カーヴァーの画策にいち早く気付くMI6長官のMは00エージェント("License To Kill" 殺しの許可証が唯一与えられているエージェント)のジェームズ・ボンドをカーヴァーの元に派遣し大戦勃発の阻止を試みる。
あらすじはここまでにしときます。
この映画のすごいところは公開が1997年であるが、20年以上たった今でもメディアの脅威はなくなっていないということを視聴者に鮮明に気づかせるところだと思う。
97年はコンピュータが各家庭に普及し、テレビやラジオにとって変わるメディアの発信の場になる年。我々はメディアに依存する生活を強いられているような気がする。いわゆる情報中毒に誰もがなっている。
奇しくも、エリオット・カーヴァーの容姿が故スティーブ・ジョブスに似ている(と思う。気になる方は調べてみて!)。これからの社会が陥る危機や危険を先に知らせているかのよう。スマホに依存し、情報中毒になり正しい情報を得ることができない、そんな社会を予言していたのだろう。
どこかの誰かが事件や紛争、戦争を引き起こし、さも国同士によって起こされているかのように見せられているだけかもしれない。政府も正しい情報を国民に与えていないかもしれない。真実を知らないまま、我々は扇動され右向け右で行動しているかもしれない。
そうならないために、目の前で起きていることに刮目し自分で考えなければ。それが情報リテラシーだろう。
そう考えざるを得ない作品。
最後にエリオット・カーヴァーの名言を言って終わりにしましょう。
「悪いニュースほど売れるニュースはない。」
これを肝に銘じて情報と向き合いましょう。
では、また。
Moleskine×僕=
こんばんは。
2年前、自分の思考の記録をしようと思いどんなノートがいいのか調べていたら、Moleskineと運命的な出会いをした。
Moleskineはフィンセント・ファン=ゴッホ 、パブロ・ピカソ、アンドレ=ブルトンなどの芸術家が愛して使ったというので、よりそそられた。種類は豊富で、ポケットサイズからラージサイズ、罫線からドットまで多種多様だ。カバーも革張りのような高級感があり、たまらない。
僕は専ら、ポケットサイズの方眼罫(時たまプレーンに変更する)とミディアムサイズの方眼罫を使っている。お値段は高いけど、キャンパスノートなどの100いくらで買えるノートの倍以上のページ数があり、また、書き心地がいい。定価より安く売っている店があるので、そこを見つけて買うといいかも。
思考や感情の記録をポケットサイズのMoleskineにしている。
取り留めのないことや重要な課題の草案とかとりあえずMoleskineに書いてみる。すると、頭が整理される。
悩み事があれば、Moleskineに書き殴る。すると、今なにすれば良いのか客観的な視点で考えることができる。
今まで使ったことのないようなノートだからこそ、「何か書きたくなる」のだと。全てデジタル化してしまっても良いのだろうが、手書きだからこそ意味がある。その時の感情や想いがページからひしひしと伝わってくる。「俺、意外とこんなこと考えてたんだ…」って冷静に客観できる。
とにかくメモることで、新しいアイデアが生まれてくることもある。Moleskineは創造性の源。
モノを考えなければならない時代だからこそ、ノートをつけることって大切なんだなと感じる。
P.S.
- 旅行やイベントの記録
- 映画鑑賞記録
- 読書記録
といった多様な使い方ができるというのもポイント(実は、ブログの元ネタは全てこのノートに…)。工夫してノート作るのも楽しい!
先日、勉強用ノートに新しく買ってしまった。
今日は短めに終わります。
では、また。
IS LOVE DEAD?
こんばんは。
やはり、恋愛というものは自分の人生には無縁のものだとつくづく感じる。そもそも、大学に入って出会いというものがなくない。
「自分から行動すればいいじゃない。」
よくこんなことを言われるが、自分から行動しても、上手くいかないから拗らせてる。20代の頃のオードリー若林正恭さんレベルの拗らせ。拗らせ方も酷く、「どうせ俺なんて」というマイナスな拗らせ。確かに、自分の見た目には自信ないし、性格や趣味・嗜好も人よりも変わっている。しかし、僕のような存在を理解してくれるような人もいずれか出てくるのだろう(と、信じている)。大学やそれに近いコミュニティで会う人よりも、スナックかなんかで話す方の方が全然僕の本質を理解してくれているような気がする。年上の方がいいのかな?
人を「好き」になる感情というものを忘れ去ってしまっている。ほぼAI状態、レプリカント、ドロイド。僕はかねてより、一途な恋をしてきた(つもり)。他の人が見えなくなるほどの。(多分、僕の恋愛に興味がない方が多いと思うので、割愛)
このような恋を求めてしまっていることが、果たして正解なのだろうか。もう少し、大人にならなきゃな。
相手を深く理解・共感し、また自分を理解してもらうこと(スティーブン・コヴィー先生の『7つの習慣』参照)を肝に銘じながら生きていこう。
一応、『7つの習慣』のリンクを貼っておきます。
Stranding.
こんばんは。
今日は先日クリアしたPS4のゲーム「Death Stranding」について書いてみます。
ゲーム概要
「Death Stranding」通称デスストはディストピア化したアメリカを再建するために伝説の配達人サム・“ポーター”・ブリッジズが各配送拠点に配達、通信をつなげていくというゲーム。あのメタルギアシリーズの小島秀夫が監督し、「ウォーキング・デッド」のノーマン・リーダスが主人公サムを演じたことで話題に。その他にも、マッツ・ミケルセン(「ハンニバル」ハンニバル役、「007 CASINO ROYAL」ル・シッフル役)、レア・セドゥ(「007 SPECTRE」スワン博士役)、マーガレット・クアリー等が出演。
感想
なんとしても映像美とゲーム内音楽、プロットが最高。僕はあまりゲームにハマったことはないが、ゲームの設定が「デス・ストランディングという現象が起こったことで合衆国政府が壊滅した未来のアメリカを新たな政治機構Bridgesと伝説の配達人サム・ポーター・ブリッジズがつなぎ合わせる」というもので、“人との繋がり“にフォーカスされていることに今までにない斬新さを感じた。いつでもどこでも誰とでも繋がることができる時代で自分が如何に孤独なのか、人と心から繋がることの重要性をまざまざと教えられたような気がする。
また、キャラクターも一人ひとり個性が強い!特に、ハートマン!!Likeめっちゃくれる。好き。そして、謎の男・クリフ。最初とエンディングでは彼を見る目が変わるくらい個性的。もともとマッツのファンなので、登場してきたときは感動。さすが、「スウェーデンの至宝」。タバコを吸うシーンがかっこよすぎる。
New Year
あけましておめでとうございます。
どうぞ、今年もよろしくお願いします。
とうとう2020年がやってきました。どんな年になるのか皆目検討もつきませんが、すべては自分次第。とにかく行動の年にしようと決意しました。
昨年はLIVE三昧でした。B'z、TWICE、Blackpink…素晴らしかった。
特にサマソニ!最前列でB'zを見れたのは一生の思い出でした。稲葉さんに指を指され、松本さんにはニコニコ微笑まれ。僕の人生のエネルギーに。また、"Whole Lotta NEW LOVE"Tourも最高でしたね。
今年は教採が控え、出来る限りのことを精一杯やり抜きたい。行きつけ(?)のスナック のマスターにも、「とにかくやってみろ!」と言われるものだから、自分にその言葉が染みついてきました。
こんな僕ですが、一年よろしくお願いします。
ミニマリスト。
お久しぶりです。こんばんは。
最近、研究やら何やらで忙しいですが、久々に書いてみようと思います。
昔から(といっても高校時代)、常にリュックやカバンがパンパンの状態で通学している。多分読まないであろう参考書や文庫が入っている。一時期は文庫3冊に参考書4冊はカバンに入っていた。今はそれでも少なくなった方。
というのも、ハンドバッグで通学する女性をよく見るから、その小さいバッグに全て詰め込めるのか疑問に思った。ノート、教科書、iPadなど全部入るのかな?アニヤ・アマソワはハンドバッグの中から小型のベレッタを出していたけど、そんな女子はいないでしょうが。
男性でも小さめのショルダーで通勤している人はいる(何しに学校に来ているのか考えてしまう…)が、バッグには何が入っているのか。このご時世だったら、ノートも全て情報機器に取っているのだろうか。学習指導要領くらいだったら、PDFでダウンロードもできるし。
僕は意外とクラシックなものが好きだし、アナログな方法がしっくりくる。髭を剃るにしてもシェービングソープをブラシで泡立て剃る。なんとか情報化社会に適応しようと試みているものの、結局本だのノートだの持ち歩き記録してしまう。だから、バッグはパンパン状態。ミニマリズムからかけ離れた生活を送っている。
一時期、禅の考えに傾倒していたが彼らの考えるようなミニマルさに脱帽しっぱなしだった。「俺もこれくらいミニマルだったらな…」と考えてから、学内で先ほど挙げたような人に着目するようになった。もっと荷物を減らしたい。使うものを使う分だけ。
久々なので、これくらいにしときます。
では、また。