ハードロック、時々ソフトカバー

心模様は雨のち晴れるでしょう。

結婚と怒りと無関心

僕はおそらく結婚できない。

 

人から興味を持たれない、必要とされない(スティーブ・ロジャースくらい肉体的精神的に強靭であれば別だろうが)。他の人には僕なんざ目に止まらない。多分「つまらない人間」のレッテルを貼られ、助けを求めたとしても助けてはくれない。周りにはそんな人間しかいないような気がする。

それに対して怒りは感じない。なぜなら、周りは無関心だからそれに対して怒りを覚えたとしても無意味だと悟っているからだ。

 

しかし、外に出るとどうだろう。周りの人間に怒りを感じてしまうことがある。それはある程度の常識を守らない人間しかいないと思い込んでしまっているからかもしれない。確かにコロナウイルスが流行し、「三密」「ソーシャルディスタンス」という世の中の新しく誰にでもできるルールすら守ることのできない人は指折り程度ではない。

 

インスタで投稿しても「いいね」が来ないだけで周りから否定されたように感じてしまう、もはや病気。人類の類稀なる失敗作・インスタグラム。

なら、やめてしまえ!そろそろ引退しようかしら。フォロワーも少ねぇし。

 

 

そんな人間は恋愛や友情といった少年漫画の形而上的テーマからは程遠い。僕としては他人への無関心は出来るだけ排除しているが、関心を持った途端怒りが先行する(場合の方が多い)。悪癖だと思う。怒りもある意味では人間性であり、ある意味では非人間性である。一概に何とも言えない感情だろう。

 

人間不信の塊のような僕は社会不適合者でしょうが、それは自分が撒いた種なのか否か。それすらの判断もできない。

 

人間が怖い。