ハードロック、時々ソフトカバー

心模様は雨のち晴れるでしょう。

「恋は盲目」という言葉に見る自己中心性

こんばんは。

 

 ここ二年は学校帰りや学校前に某有名カフェで本読んだり勉強したりしているんです。コーヒーだけじゃなくて、ラテとかティーも美味しいから。

 で、店に入ってから気になることが何かしら、毎回起こる。僕が神経質だからだと思うんだけど。

 

 大体ああいう店には暗黙のルールみたいなのがある。店内では他人が迷惑するような声で話さない、とか、飲み物なら食べ物なり持っている人が通るから通路は出来るだけ空けておく、とか。文章化すると当たり前過ぎて逆に違和感を覚えるが、店に来た人たちみんなが気持ちよく過ごせる空間にするためにどんな人でも気を遣っていることだと思う。一人で来てるサラリーマン(営業かな?)は何分かに一遍は電話がかかってきて結構大きめな声で話している。これがなかなか迷惑なもんなんだよ。

 

 新作が出るたびにカップルとか女子高生の客が増えるのだが、迷惑するのが「明らかに3軍のカップル」。

 昨日も学校帰りに寄って、生意気っていわれるかもしれないけど、ソイ変更のカプチーノを頼んでドリンク待ちしてたら、前の「明らかに3軍のカップル」が通り道いっぱいに広がって(意外とそこが狭い)、ずっと女性が男性の肘を触ってる。

                            なんで肘なん?

とは思った。それでもって、声量がなかなかなボリューム。その会話誰が聞きたい?聞こえたとしても一個も面白くない内容だぜ?それでもお互い笑ってるんだ。幸せなんだからな。「恋は盲目」であるが故に周りが迷惑してもいい。オードリーのオールナイトニッポンで若林さんも言ってたけど、「自分たちが1軍、周りが3軍」って思ってるからこんなことになっちゃってるんだ。

 こうなったときは一服!店から離れた位置に喫煙所があるけど、一種の運動だと思って歩く。帰ってきてもまだいる。うるさい。イヤホンしてても聞こえてくる音量ってなんやねん!そんな彼らに僕はこう思う。

 

僕はただのエキストラ。二人の恋物語にしては超端役。主役の二人には敵いませんよ。

 

ただの嫉妬。嫉妬なのか?自らは3軍だと思うけど、しっかりと時と場合、弁えようぜ。君たちのその自己中心性は誰も、地球上の誰も、本人たち以外は得しない。理性的で、生産的な行為をずっと周りに求めている訳ではない。しかし、「周りの目を気にするな!」という言葉を履き違えて理解しないでいただきたい。その言葉が適応されるのは周りに迷惑をかけないこと、大多数の利益となること、または、スティーブ・ジョブス的なクリエイティブなことをする場合に限る。

 

 この際ですから、もう一つ。カップル関係。また細い路地。二人広がって通れるか通れないかレベルの路地ってよくありますよね?それで、向こうから2、こちらサイドは1。すれ違うときは、普通は1:1で通りますわな。だが、私が出会う方々は大体避けないのよ。なぜか。「え、これ、俺が避けるシステム?」と思いつつ、通り過ぎるのを待つ。イラッ。やっぱり3軍。

 このイライラはどこにぶつければいい?自己完結できるほど器用ではない。

 

 

 

 

 アンガーマネジメントやろうかな。

 

 

 

 

今回は少し器の小ささを露呈させてしまいましたね。見苦しかったですね。すみません。また読んでね。

 

では、また。