ハードロック、時々ソフトカバー

心模様は雨のち晴れるでしょう。

「歴史教育」って?

“歴史がわかれば未来がわかる”

 

ここのところ毎日見ている「中田敦彦YouTube大学」で中田氏が繰り返しこのように言及している。

 

僕は小5の時に「Indiana Jones」シリーズを見てから歴史の虜であったが、小中の友達は「歴史を勉強する意味がわからない」と言っていた。

 

歴史は“過去”の学習であるが、現在やこれからの“未来”を生きる我々は過去を学ぶ意義や意味はわからないだろう。

 

日常を生きる上で歴史を感じる瞬間はほぼない。

 

「このレジって産業革命や技術革命が進んだゆえに生まれたんだ…」とか「大学っていうシステムは古代ギリシャのリュケイオンから始まっているんだな…」とか思う瞬間ってほぼないでしょ?

 

だけど、よくTwitterやテレビのニュースで見聞きする問題って今に始まったことじゃない。今までの歴史が産んだものなんですよ。

 

日韓関係が悪いから、「嫌なら韓国人は日本に来なければいい」とか「日本製のものを使ったり日本の食文化に触れるな」とかそういう問題じゃない。

 

歴史を知った上で我々はどう考え行動するかが重要なのであって他文化や他民族を排斥することではなにも解決には繋がらない。

 

歴史って他の文化や国のルーツを知ってコミュニケーションの相手をよく知るためのツールなんですよ。

 

そして、問題解決のツールでもある。

 

このことを往年の教師は教えてきたのだろうか?

 

ただ、漠然と勉強してテストを受けてきたんじゃない?

 

「社会の形成者」を育成するのであれば、歴史教育の意義や意味を考えさせ、伝えていくのが筋だろう。

 

別に文科省批判ではないけれど、形而上的な意味をなさない歴史教育は全くナンセンスなことだ。

 

今大学生活を送る上で歴史的思考力を使って問題解決したためしはないけれど、社会に出て日本に貢献するときが来れば必然と必要になると思う。

 

さっき、「コミュニケーションの相手をよく知るためのツール」って書いたけれど、宗教の知識、相手の国のルーツ、異文化理解って大切。

 

それはオーストラリアの語学研修で痛感した。

 

相手のホストファミリーの宗教やオーストラリアの文化、オーストラリアという国の成り立ちを知らないと今生き延びてられなかったかもしれない(それは誇張の極みであるが)。

 

日本とは大違いのオーストラリアのシステム。

 

歴史を知っていたからこそ、向こうの学生や先生とかと上手くやっていけたんだ。

 

余談だけど、「これからの日豪関係や互いの国の歴史」についてホストブラザーと語った。お互いの歴史的思考力が爆発した。

 

彼は有難い事に日本が好きで、日本語もちょっと囓って少しではあるが話すこともできた。

 

「サムライ」、「ゲイシャ」だけじゃなく、WWⅡについてなら考察や批判も当時の僕よりも論理的で素晴らしかった。 

 

その話題の時に彼が言った。

 

 

 

「日本はすごくクールだよ。君は日本に生まれたことを誇りに思った方がいいよ!」

 

 

 

こう言われた。

 

だけど、日本が行った横暴を知っている僕は「うーん…」と唸るしかなかった。

 

それについて教えるべきだったのか今も悩むところである。

 

各国間で歴史教育に差異があることをまざまざと見せつけられた。

 

これは面白いことでありシリアスな課題だと。

 

一大学生の戯言かも知れないけど、これをみんなにも考えてもらいたい課題。

 

話しがだいぶ横道にそれましたね。すみません。

 

今までされてきた歴史教育に疑問を呈して自らの歴史観を見つめなおしていく必要があるな、とあっちゃんの授業で考えさせられた僕でした。

 

では、また。