ハードロック、時々ソフトカバー

心模様は雨のち晴れるでしょう。

「恋は盲目」という言葉に見る自己中心性 Vol.2

こんばんは。

 

前文/前の記事

このタイトルでは以前書きました。その続編です。前の記事は読んでも読まなくても…どちらでも構わないですが。

https://anyo-haseo.hatenablog.com/entry/2019/09/27/004256

 

本題

このコロナ禍のなかでも「恋は盲目」という言葉に見る自己中心性について考えさせられた。

人はやはり恋をすると盲目になってしまうのです。僕自身そうだった。好きな人ができて周りの友達に相談するとアドバイスをくれる(ごく稀に)が、結果を言うと「一個も聞かなかった」。これは僕が頑固ということに落ち着くでしょうが、結果として盲目的な判断を下しているのかと。

 

 

in the movie theatre.

コロナ禍での映画館は席を一つ飛ばして座るシステムになっている。所謂「三密」を回避するためらしい。そんなことお構いなく隣で座るカップルや夫婦。

混雑してもいないのに。

一つこういうことが気になるととことんまで気になってしまうのが僕の性。TENETもろくに観られず、「一体何のための1500円なのか」と自分に問いつつ、喫煙所で一服するのだ。喫煙所でもなかなか大きな声で会話してるわなんやらで不快でしかない。

 

新自由主義が悪いんだ」

 

僕は悪くない、社会が悪いのだと思うしかない。人が人のことを考えられないような社会に生まれてしまった。唯一の人生の選択ミスかもしれない。

 

生きづらい世の中になってしまった。生きててしんどい。