ハードロック、時々ソフトカバー

心模様は雨のち晴れるでしょう。

身の丈

こんばんは。

 

 

 

オシャレになりたい。かっこよくなりたい。かわいくなりたい。

 

これは人間が「現代社会」を生きる上で避けては通れない欲望の一つだろう。キリスト教では「7つの大罪」なるものがある。その中には、「オシャレになりたい欲」なんて組み込まれてはいない。

それはキリスト教カーストの“身の丈”にあった生活を送らなければならなかったからだ。農民は農業をやり、領主は土地の管理をし、聖職者は聖書を読む。農民が飛び抜けて聖書を読もうとしたのだろうか?答えは、否。しかし、十字軍遠征が失敗して教皇権が失墜してからは「個」の時代が訪れるのだが、資本主義が世の中を淘汰するまでは“身の丈”に縛られていた。

しかし、「現代社会」はどうだろう?VOGUEなり何なり売る為の戦法に引っかかりまくる。

 

あぁ、スタイリッシュなノーカラージャケット欲しいなぁ。

CHANELのお財布かバッグ持てば、あいつも黙るだろう。

 

日々、このような自問自答をしているんじゃないか。“背伸び”してブランド物を買ってみるが、どこか釣り合ってない。

僕は「中身が外見に追いついていないから」という結論に辿り着いた。

高尚な僧は、自己研鑽に時間と労力を費やす(といっても、そこそこ綺麗な身形はしている)。しかし、中身の成長を鑑みずにブランド物に、すぐ、手を出す人は自己研鑽する時間を惜しみ手っ取り早く社会に認められる存在になろうとする。

どんなに資本主義社会における成功を成し遂げていても、内面が伴わなければ人からは慕われない。これは、人類の歴史が証明している。マザー・テレサマルクス=アウレリウス・アントニヌス、キング牧師

 

“身の丈”にあった生活をしよう。“身の丈”にあった交流をしよう。“身の丈”にあった物を身につけよう。

 

これはある種、歴史の教訓なのかもしれない。

 

 

では、また。

 

人間ですから。

こんばんは

 

お久しぶりでございやす。

 

たまに、「いつも読んでるよ!」って報告をくれる方がいます。めっちゃ嬉し恥ずかしいっす!笑

何も言わずにいられるより、言われた方が嬉しいですね。人間だもの。

スルーしてもいいところをスルーせずに伝えてくれる方、好きぃぇ〜(若林さん風)。

 

昔からそうなんだけど、「(僕)くんの〇〇よかったよ!」とか「え、(僕)くんのここがいいよね!」ってストレートに伝えてくれると、心の底から嬉しくなるし「ここ見ててくれたんだ!」って。

 

多分、人より承認欲求強めなのかな?人付き合い苦手なのに。人付き合い苦手だからか?

 

気難しい人で済まさず、今関わってくれている方、本当にありがとうございます。好きぃぇ〜。

鬱気味な近況と「スマホ脳」

こんばんは。

 

最近、鬱気味なので文章書きます。

 

特に仲の良い友達がいないので、当然卒業旅行のお誘いとかもなく。毎日、籠って本読んで映画見ることしかすることがない。

自分の交友の狭さと人望の無さに失望している。

 

 

そんなことを思うのは、SNSのせいなのだろう。

アンデシュ・ハンセン氏『スマホ脳』によると、近年の若者の自己肯定感の低さや無力感は、SNSによる他者との比較に起因するものだと述べられている。

 

特にインスタとか見ていても、「勝手に」、「あなたのおすすめ」にバズっている人の投稿がでてくるのだが、勿論華やかな生活を送っているような人間がワイワイなんか旅行ログやらご飯ログやらやってる(当然、発言や言動なんか面白くもなんともない、薄っぺらい内容)。

必然と自分と比較してしまう。多分、読者の皆様もそのような方は多いのでは?

 

SNSは、脳のHPA系を刺激して中毒症状を齎すものである。いわば、「情報中毒者」にさせる。よく、周りを見ていても友達といるのに携帯を弄り、その場の会話や空気に集中していない人が大多数見受けられる。それは、「情報中毒」に陥っていてスマホが無いと生きていけなくされている。

僕は、中毒症状が出ていないと思う(と信じたい気持ちでいっぱいなのだが)。読書も適度に行うし、問題集だって解く。友達といても、極力携帯は見ないように心掛けている。

 

話がズレにズレたが、やはり、SNS離れしなければならないのだと実感している。という間も、こうしてブログを書きSNS離れができていない。

 

「他人と自分は別の生命体で、容姿や考え方も勿論異なる。」

 

これを肝に銘じて生きていきたい。

鬱気味な自分を打破したい。

 

重い話ですみません。

 

では、また。

 

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

 

 

2021。

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致しやす。

 

昨年は「地の時代」から「風の時代」へと変わり、これからの価値観が大幅に変わっていきました。

そこで、僕はもっと自分の「魅力」を全面に押し出していこうかと。

 

ひとよし。

大学生活の終焉と考え方

こんばんは

 

寒さがより一層キツくなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

もう大学生活も数えるところ、5ヶ月で終わってしまう。

高校時代に描いていた「理想的な」大学生活とはかけ離れたものではあったのだが、収穫こそあったと思い込もう。

 

所属する学部では1、2年時には死ぬほど授業が詰め込まれ、何を書いていいのか皆目見当もつかないレポートを書かされ、終いには「大学生のうちに旅行ややりたいことやりなさい」とお偉いさんに説かれる始末。

「いや、アホほど忙しいから行けないのよ〜やれないのよ〜」

と思いつつ、にこやかに聞くしかない。

言ってることとしていることに矛盾が生じている。これが世に出たときには当たり前なのかと悟った。大人なんか特にそうだろう。「本音」と「建前」的な「古・日本的」な伝統みたいなものが未だにまかり通り、大学とはその総本山なのだと(キリスト教でいうと五本山?ヴァチカン?サンティアゴ・デ・コンポステラ?)。

人間としては恋愛はしていないが、考え方はアップデートされたのかもしれない。大学1年時には思い付かなかったようなことやものがポンポン頭に浮かび上がっては消えていく。大して興味もなかった教育学という視点によって、拡張されたシマウマのような視角で物事を考えている。しかし、ライオンのような狭いながらも立体的に物事は見れなくなっているのかもしれない。

 

残りの時間で「何をするのか」。

「恋は盲目」という言葉に見る自己中心性 Vol.2

こんばんは。

 

前文/前の記事

このタイトルでは以前書きました。その続編です。前の記事は読んでも読まなくても…どちらでも構わないですが。

https://anyo-haseo.hatenablog.com/entry/2019/09/27/004256

 

本題

このコロナ禍のなかでも「恋は盲目」という言葉に見る自己中心性について考えさせられた。

人はやはり恋をすると盲目になってしまうのです。僕自身そうだった。好きな人ができて周りの友達に相談するとアドバイスをくれる(ごく稀に)が、結果を言うと「一個も聞かなかった」。これは僕が頑固ということに落ち着くでしょうが、結果として盲目的な判断を下しているのかと。

 

 

in the movie theatre.

コロナ禍での映画館は席を一つ飛ばして座るシステムになっている。所謂「三密」を回避するためらしい。そんなことお構いなく隣で座るカップルや夫婦。

混雑してもいないのに。

一つこういうことが気になるととことんまで気になってしまうのが僕の性。TENETもろくに観られず、「一体何のための1500円なのか」と自分に問いつつ、喫煙所で一服するのだ。喫煙所でもなかなか大きな声で会話してるわなんやらで不快でしかない。

 

新自由主義が悪いんだ」

 

僕は悪くない、社会が悪いのだと思うしかない。人が人のことを考えられないような社会に生まれてしまった。唯一の人生の選択ミスかもしれない。

 

生きづらい世の中になってしまった。生きててしんどい。

 

 

 

 

自分が「自分らしく」いること

こんばんは。

 

「自分らしく」生きることについて『私は私のままで生きることにした』『死にたいけどトッポッキは食べたい』の二冊の本に考えさせられた。

 

今までの自分は周りの友達には「変わってる」とか「変だ」とか言われるので、普通の人とは価値観だったり感じ方が違うから“異質感”を感じていた。また、日本という集団主義社会において“異質”は排除の対象としていじめなり村八分なりされるわけだ。中学校から今まで、正直生きていて辛かった。自分に価値も見出さずに。

 

 

「自分らしさ」を押し殺して生きることが世渡りの術なのだ。

 

 

二冊の本はこの馬鹿げた考えを捨てさせてくれたと思う。

自己肯定感が著しく低いわけであるが、自己肯定感とはなんぞや?自己肯定感とは「自分を信頼できること」なのだ。なるほど。たしかに今までの自分は自分に対する信頼度が低かったのだろう。なので、自分のしてきた選択に対して後悔しかしていなかったが、考えを改めよう。“過去”にフォーカスするのではなく、“未来”を見据えることだ。

そのためには今までの自分の決断を肯定することから始めなければ。

 

私は私のままで生きることにした

私は私のままで生きることにした

  • 作者:キム スヒョン
  • 発売日: 2019/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
死にたいけどトッポッキは食べたい

死にたいけどトッポッキは食べたい

 

 

また、書きます。

 

では、また。